現代クライニアン イギリスで②ベティ・ジョセフ
Contemporaryクライニアン
英国でのクライン学派②ベティ・ジョセフ
クラインの後継者としてシーガルに並ぶ代表的な精神分析家として
ベティ・ジョセフ がいる。
シーガルが知性の人。
ジョセフは直感の人。
二人の女性は、
ほぼ同時代を生きた英国クライン派の代表的な人であり、
非常に対称的でもある。
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ベティ・ジョセフ
呼び鈴に答えて出迎えてくれたのは、
小柄でとてもスマートなお婆ちゃんだった。
(略)
三角の高い鼻がそびえる細面の小さな顔、
そこから優しい二つの目が覗いている。
見ようによっちゃ、
ちょっとお婆ちゃんカマキリのような相貌である。
目尻の深いしわをさらに深くして、
ニッコリと微笑みつつ、
いろいろ聴いてくれる。
上品で気さくな英国レディである。
「精神分析たとえ話」飛谷渉著(2016)にかかれている一節である。
飛谷先生がロンドンに留学した折、
85歳のジョセフと初めて出会ったところのシーンからの抜粋である。
ジョセフは、
1917年 電気技師の娘として生まれる。
アングロ・ユダヤ人の出身である。
生い立ちなどはあまり明らかになっていない。
大学ではソーシャルワークを学び、
その時の課題でされた
クラインの著書に感銘を受けて精神分析に興味を持つ。
ソーシャルワークの仕事をしながら、
最初にバリントの分析を受けて比較的若く英国で精神分析家になるが、
それでは十分ではないと思い、ハイマンの分析も受けている。
このハイマンとの分析が、
後のジョセフの仕事にかなりの影響を与えているように思われる。
精神分析家としての天才的ともいえるその直感が、
その後のクライニアンたちから高く評価されているが、
ジョセフ自身は、分析家になってしばらく、
自分には才能がないと悩み、
分析家を止めようとして、
スーパーバイザーから
思いとどまるように言われたという
エピソードがあるらしい。
その後、クラインをはじめとして
多くのスーパーバイザーの指導をうけている。
ジョセフほどの人でもそんなことがあったと知ると、
少しほっとした気持ちになるが、
考えてみると、
自分に対してストイックに突き詰めていくこの姿勢があったから
その後のジョセフがあったともいえるのかもしれないと、
私は思ったりもする。
クラインには
「あなたにはじめに会ったとき、随分才能のない人だと思ったけれど、
それは私の大きな思い違いだったわ」
と言われたという話が残っている。
クラインの率直さと
ジョセフとの自由なやりとりを伺わせる話のように思う。
その後、ジョセフは
クライン派の真骨頂ともいえる『いまここで here&now』を推し進めた。
クラインに直接学んだ第二世代、
代表的な著作として
「心的平衡と心的変化」(小川豊昭 監訳)
そこにある、『平衡』という考え方が、
ジョセフのオリジナルな考え方であるが、
これを世に出し、ジョセフのオリジナルな世界が花開いていく
ジョセフ60歳の時である。
数年前に翻訳され日本で出版されたものに、松木邦裕先生監訳の
「心的変化を求めて
ベティ・ジョセフ精神分析ワークショップの軌跡」
この本の前書きに、
これまた松木邦裕先生がジョセフに最後にあった折の様子が記されている。
白い壁の戸口の呼び鈴を鳴らすと、
扉を開け、
彼女は笑顔で私を迎えてくれた。
この人はいつも顔一杯の笑顔と
やや大きな身振りでむかえてくれる。
ジョセフは、この1年半後に、95歳で亡くなっている。
治療場面、
つまり、今ここで
治療者・患者間で起きていることを、
患者の語ることから
さらに
そこに醸し出される雰囲気から、
顕微鏡でのぞき見るがごとくに緻密に
そして直感的に掴み、
患者自身のパーソナリティの病理の理解につなげて、
瞬時に解釈をしていく有り様は
まるで職人の匠の技のようである。