ビオンの精神分析 中期 対象関係論を学ぶ第7回
ビオンの精神分析理論中期・・・クラインからの飛翔
クラインの分析を受けたビオン
中期のビオンは、クラインができなかったことを展開している。
特に精神分析的な体験を科学的公式に納めることを試みている。
K-rink
リンクとは面接中の対象との間での情緒の質を表す。
その情緒を内的に取り扱えるようにする。
つまり「知ること」ができるようになる。
Knowing が
つまり
Kである。
知ること、愛すること、憎むこと。
K, L, H
-K, -L, -H
精神分析的な心理面接は知ることを目指して行われるが、
いつの間にかそこで行われることは
別の情緒へと変わっていくことがある。
(必ずと言っていいほど、ある。)
自分の心の中で何が起きているのかを知っていこうとしているはず。
しかし、いつのまにか、自分の心は、セラピストが自分に愛情を感じているかどうか、
そのことで一杯になることがある。
これはKがLへと変形されたといえる。
また、知ろうとしているはずなのだが、
いつの間にか何も考えず、漫然と面接の時間をかさねていくこと
停滞の中で無思考に陥っていることがある。
-K への変形である。
数式や記号に置き換えることで、
まじりけのない形で人の心の質を
語ろうとしているように思う。
ある数学者いわく
「数式はすべての言葉を超える言語だ」
独立学派と米国の対象関係論 対象関係論を学ぶ第6回
独立学派と米国での対象関係論
イギリスでの
クライン以後の正統派の流れから
さらに、分派、その支流について話題となる。
独立学派といえば、ウィニコット
米国対象関係論といえば、オグデン
という話はいろいろなセミナーで取り上げられてきている。
今回松木先生の話では、
ウィニコット 以外の独立学派、さらに現在国際的な舞台で
活躍している独立学派の精神分析家についても言及された。
精神分析、とりわけ対象関係論がどのように
現代精神分析フィールドに発展してきているのかがよくわかる講義であった。
ウィニコット著作「子どもの治療面接」から
代表的な分析家として、
ウイニコット
シミントン
ケースメント
ボラス
オグデン
アイゲン
バラエティに
富んだ人材の経歴と治療論、その対象をめぐる論考について紹介をされ、
とても時間内に収まらない内容で、
最後は駆け足になってしまったことが少々残念であった。
松木先生は、
対象関係論というのは、クライン派+独立学派をいうといわれて、
いわゆる対人関係論(昨今は関係論といわれている)とは
大きな違いがあることを説明された。
対象関係論は、内的な世界と内的対象を考え、それと自己とのやりとりを考えていく、
内在化された母-乳幼児を基本として心を考えていくものだと説明されていた。
さらに、
クライン派と独立学派に共有されているところと、
あまり受け入れられていないところを整理して講義をされた。
死の本能を認める認めないというところから、
コメントされていた。
私もクラインの勉強をし始めていた頃はそんな風に思うこともあったが、
最近は少し違う印象を持っている。
ここまで徹底的に破壊性を取り上げることができること自体、
破壊を取扱ながらもよい内的対象を保持続ける力が人のこころには備わっている、
といったような、あまねく人という存在への信頼や楽観がなければ
考えられないことではないかとも。
つまり究極の性善説がベースにあるようにも感じるのである。
現代クライニアン イギリスで③ハーバート・ロゼンフェルド
Contemporaryクライニアン
英国でのクライン学派 ③ロゼンフェルト
ハーバート・アレクサンダー・ロゼンフェルド
( Herbert Alexander Rosenfeld、1909年 - 1986年)
ローゼンフェルドは、
医学を志し、
1935年にロンドンへ移民する。
この間、彼は様々な理由で臨床現場を失い
次に移るとことを繰り返している
後に妻となる音楽家志望のロッティと出会う。
ロッティは移民の際に外傷体験があり、
そのために精神的に不安定になり、
ハイマンに分析を受けている。
そのロティに対して語られた解釈を
ローゼンフェルドは聞き、
衝撃を受けている。
そして、自分も分析を受けたい。
そう思い、ハイマンの師である
メラニークラインに自分の分析の依頼をする。
それとともに
ローゼンフェルドは分析家になるトレーニングを開始する。
ローゼンフェルドは、
最初のトレーニングケース『トーマス』
の経過の中で精神病性の思考障害が明らかになり、
治療の中止をし精神病院への転院を説得した。
手放してしまったことへの後悔と罪悪感。
そして二人目のトレーニングケース『ミルドレッド』
そのミルレッドに同一化し、そこでの逆転移感情を
クラインとの分析に持ちこんだ。
ビオンの金言
『記憶なく 欲望なく…』に対して
東中園先生曰く
ローゼンフェルドの分析治療の背後にある熱意は
「捨てない 逃げない 諦めない」
患者が何を言っているのかではなく
患者が何を伝えようとしているのかを
よく聞くんだ!
患者が無意識的に伝えようとしてきているもの
コミュニケートしてきているものを受け取ろうというのが
ローゼンフェルトの基本的姿勢である。
現代のように、
クロルプロマジンもない時代に
統合失調症患者に向き合い
精神分析的な治療をこころみた。
東中園先生はいう
『精神病者の人生の道行きを支える治療観』
患者は幻聴がひどくなった状態でやってくる。
患者は分析家の存在に気がつかないように
部屋の中をうろつき何かを探し回っている。
「あなたは自分をここでなくしたと感じていて
その自分を探しているみたいだ」
「自分の根っこを見つけないといけない。
あなたのことを好きになりすぎることが
いいのかどうか僕には分からない」
彼にとって分析家を好きになることは、
分析家の中に入り込んで自分を見失うことであり、
根っこを失うことなのだと感じているのだと
ローゼンフェルドは言って聞かせる。
飛谷先生の「精神分析たとえ話」の中に記述されている
『ローゼンフェルドと精神分析の神様』の一節である。
現代クライニアン イギリスで②ベティ・ジョセフ
Contemporaryクライニアン
英国でのクライン学派②ベティ・ジョセフ
クラインの後継者としてシーガルに並ぶ代表的な精神分析家として
ベティ・ジョセフ がいる。
シーガルが知性の人。
ジョセフは直感の人。
二人の女性は、
ほぼ同時代を生きた英国クライン派の代表的な人であり、
非常に対称的でもある。
-
ベティ・ジョセフ
呼び鈴に答えて出迎えてくれたのは、
小柄でとてもスマートなお婆ちゃんだった。
(略)
三角の高い鼻がそびえる細面の小さな顔、
そこから優しい二つの目が覗いている。
見ようによっちゃ、
ちょっとお婆ちゃんカマキリのような相貌である。
目尻の深いしわをさらに深くして、
ニッコリと微笑みつつ、
いろいろ聴いてくれる。
上品で気さくな英国レディである。
「精神分析たとえ話」飛谷渉著(2016)にかかれている一節である。
飛谷先生がロンドンに留学した折、
85歳のジョセフと初めて出会ったところのシーンからの抜粋である。
ジョセフは、
1917年 電気技師の娘として生まれる。
アングロ・ユダヤ人の出身である。
生い立ちなどはあまり明らかになっていない。
大学ではソーシャルワークを学び、
その時の課題でされた
クラインの著書に感銘を受けて精神分析に興味を持つ。
ソーシャルワークの仕事をしながら、
最初にバリントの分析を受けて比較的若く英国で精神分析家になるが、
それでは十分ではないと思い、ハイマンの分析も受けている。
このハイマンとの分析が、
後のジョセフの仕事にかなりの影響を与えているように思われる。
精神分析家としての天才的ともいえるその直感が、
その後のクライニアンたちから高く評価されているが、
ジョセフ自身は、分析家になってしばらく、
自分には才能がないと悩み、
分析家を止めようとして、
スーパーバイザーから
思いとどまるように言われたという
エピソードがあるらしい。
その後、クラインをはじめとして
多くのスーパーバイザーの指導をうけている。
ジョセフほどの人でもそんなことがあったと知ると、
少しほっとした気持ちになるが、
考えてみると、
自分に対してストイックに突き詰めていくこの姿勢があったから
その後のジョセフがあったともいえるのかもしれないと、
私は思ったりもする。
クラインには
「あなたにはじめに会ったとき、随分才能のない人だと思ったけれど、
それは私の大きな思い違いだったわ」
と言われたという話が残っている。
クラインの率直さと
ジョセフとの自由なやりとりを伺わせる話のように思う。
その後、ジョセフは
クライン派の真骨頂ともいえる『いまここで here&now』を推し進めた。
クラインに直接学んだ第二世代、
代表的な著作として
「心的平衡と心的変化」(小川豊昭 監訳)
そこにある、『平衡』という考え方が、
ジョセフのオリジナルな考え方であるが、
これを世に出し、ジョセフのオリジナルな世界が花開いていく
ジョセフ60歳の時である。
数年前に翻訳され日本で出版されたものに、松木邦裕先生監訳の
「心的変化を求めて
ベティ・ジョセフ精神分析ワークショップの軌跡」
この本の前書きに、
これまた松木邦裕先生がジョセフに最後にあった折の様子が記されている。
白い壁の戸口の呼び鈴を鳴らすと、
扉を開け、
彼女は笑顔で私を迎えてくれた。
この人はいつも顔一杯の笑顔と
やや大きな身振りでむかえてくれる。
ジョセフは、この1年半後に、95歳で亡くなっている。
治療場面、
つまり、今ここで
治療者・患者間で起きていることを、
患者の語ることから
さらに
そこに醸し出される雰囲気から、
顕微鏡でのぞき見るがごとくに緻密に
そして直感的に掴み、
患者自身のパーソナリティの病理の理解につなげて、
瞬時に解釈をしていく有り様は
まるで職人の匠の技のようである。
現代クライニアン ・イギリスで①ハンナ・シーガル
Contemporaryクライニアン
英国でのクライン学派①ハンナ・シーガル
メラニークライン純系といわれる
英国精神分析協会系列のグループを
「英国クライン学派」というらしい。
代表的な人物としては、
ビオン、
シーガル、
ローゼンフエルド、
ジョセフ
などがいる。
その中で代表的な精神分析家にハンナ・シーガル。
ハンナ・シーガル
英国精神分析家で、
クラインの後継者といわれる。
ナチスに追われて亡命もしている。
彼女の仕事で、
特に有名なのは
「メラニー・クライン入門」
という本を書いたことである。
この著作によって、
今まで
取っつきにくいと
敬遠していた多くの人がクラインを理解し、
その魅力を知るところとなる。
非常に難解で
言葉足らずで読みにくい
クラインの論文を
しっかり咀嚼して
さらにわかりやすい言葉で紹介をしている。
シーガル自身は、
27歳で精神分析家となり、
32歳で訓練分析家になっているところを見ると、
とんとん拍子に階段を上っていく人、
随分の才女だったようだ。
夫は、数学者でポール・シーガル。
彼女の著書には、
夢を扱ったもの、
芸術論、文化論も取り上げている人である。
現代クライニアン精神分析の現在
第5 回 Contemporary クライニアン その1 クライン学派の特徴
クライン学派って何?
Grosskurthによって書かれたメラニークラインの伝記がある。
この伝記は、精神分析の史実にそっているというより、
ゴシップ記事のような本のようでだが、
彼女の娘でその後彼女と同じく精神分析家になったメリッタと
愛弟子で後に彼女から離反していくハイマンとの絡みが描かれている。
この本の内容はともかく、
その中で「クライン派?」という用語をめぐって、
ベティージョセフとクライン自身との間交わされた会話が紹介されている。
クライン自身、自分がクライン派と呼ばれることに抵抗感があったようだが、
ある時ベティジョセフがクラインに言った言葉が紹介されている。
「先生、それはもう遅すぎますよ。
だって、貴方が嫌であろうが無かろうが、もう貴方はクライン派なんですもの。」
さて、セミナーの中で松木先生はクライン派の特徴を4つ挙げている。
* フロイトの継承者としての位置づけ
* 内的対象という概念の導入
* ポジション理論
* 早期対象関係に基づく
それぞれについて、セミナーでは松木先生が解説をされており、非常にわかりやすく整理して説明をしてくださった。
さて、それに引き続いて、
世界の中のクライン学派と呼ばれる人の紹介をしてくださったが、
内容が盛りだくさんで、少々駆け足になったのが残念だった。
それで、事後学習として、自分なりに調べた情報を整理してまとめてみたい。
まずは、イギリスから・・・・
精神分析 Early Bion母親のもの想い
第4回 ビオンの精神分析 前期 その3 REVERIE
ビオンは乳児の原初的な心の動きとそれを受けとめる母親との関係をとりあげている。
乳児は
取り除きたい不快な感情を排出させる。
手足をばたつかせながら、
まるで今にも死んでしまうかのように、恐怖を外界にはき出す。
母親は
それを受け取り、
自らのもの想いによってそのおぞましいものを抱え吸収し
そして乳児に関わる。
例えば、
おなかが空いた。
この苦痛はこの世が終わるような激しい恐怖として感じられるわけで、
それをビオンは
nameless dread
と呼んでいる。
この苦痛をもの想いによって
抱えられやすい形にされ、乳児に再び取り入れられる。
ここに母親のもの想いというα機能が働いている。
こうした母子の相互作用を治療者患者関係へと当てはめてビオンは考えている。
個人的には、
このモデルからすると、母親は非常に万能的な容器である必要があるような印象を受けてしまう。
実際は、もの想いの能力は乳児によって育てられる活性化するという面もあるのではないかとも思ったりする。